李 慧
(云南大學(xué)旅游文化學(xué)院 云南 麗江 674100)
日本では8 世紀(jì)頃に成立した 『古事記』、『日本書紀(jì)』、『萬葉集』、『風(fēng)土記』に歌垣の記事があり、そこには男女が結(jié)婚や戀愛を目的にお互いに歌を掛け合うことが記載されている。
歌垣とは古代、男女が山や市などで集まり、飲食や舞踏をしたり掛け合いで歌を歌ったりしたもので、求婚の場の一つでもあった。 後にその歌垣が宮廷など貴族に取り入れられて一種の風(fēng)流遊蕓となった (日本大辭典刊行會(huì)1973:612)。
日本の古典文學(xué)や民俗文化の研究にとって、歌垣研究は欠かせないものである。 本稿において、本質(zhì)的なところ、人々は一體何をしに歌垣にやって來たのか、つまり歌垣という行事の意義についてはどうだろうかについて考えてみよう。 まず、日本古代の歌垣の要素と參加者のを見てみよう。
表:日本の歌垣の要素と參加者
歌は歌なので、現(xiàn)実の戀愛とは違う。 ただ、歌垣という空間が戀愛をする空間であるということは確かである。 つまり歌垣は戀愛のできる場所であるということである。 問題は、「そこ」で歌うことの意味なのである。
まず、歌は何より戀愛へのきっかけになっている。ということはいえるはずである。 そして歌うことによって戀愛感情が高まってくることだとも當(dāng)然考えられる。 歌は歌の上での戀愛を楽しむということを目的にして始まるであろう。 むろん、結(jié)婚という現(xiàn)実的な動(dòng)機(jī)はその掛け合いの重要な論理を構(gòu)成する。 しかし、あるのは、愛情を確認(rèn)し、歌い手同士の戀愛関係を理想のものにしようとする歌と、他者である相手の素性やその心を絶えず探り、相手との距離を一定に保とうとする歌とが、それぞれ交互に繰り返されたり、両方の働きを抱えて歌が延々と繰り返されるというのである。 だから終わる時(shí)はなんとなく終わるのである。
次に、歌垣の場は非日常的な空間であるにしろ、歌を歌うことが彼らを日常生活から解放しているようには見えない。 むしろ、歌うことは、彼らの現(xiàn)実の社會(huì)生活と戀愛幻想の抱える理想的な男女の関係との「あいだ」に、彼らを據(jù)えることであり、彼らを戀愛の興奮の中に昇華させる一方で、冷靜に相手を観察するように自身を抑制の働く存在にもするのである。
『常陸國風(fēng)土記』筑波郡の「筑波嶺の會(huì)」の歌垣も、「筑波峯の會(huì)に娉の財(cái)を得ざれば、児女とせずといへり」などとあるように、男女が結(jié)婚という現(xiàn)実的動(dòng)機(jī)を潛ませて歌を掛け合っていたであろう。 そして、少なくとも、「結(jié)婚相手」を得ようという現(xiàn)実的課題を優(yōu)先させるものである。
戀愛は人間社會(huì)における自然規(guī)則であるが、禁忌でもある(昔のこと)。 だからその禁忌が解除される歌垣での戀愛が可能になる、ということも分かるようになった。 歌は聲で歌われるからである。 二人だけでの戀歌を歌っても、その聲は社會(huì)に聞こえるものである。 筑波山の歌でいい、市での歌でいい、 聲は歌垣の場を越えて社會(huì)に浸透する。歌垣での歌(聲)はその歌う二人以外に聞こえるということであり、 社會(huì)の中で人々に共有されるということである。
歌垣による歌の掛け合いは、二人だけの完結(jié)した世界を構(gòu)成しない、 これは何より大事なことであると思われる。 というのも、戀愛は、社會(huì)の中では禁忌であるが、それは歌垣の場で、歌で表現(xiàn)される限りでは、社會(huì)はその禁忌を許容する。 つまり、公の場で歌われる戀の歌というのは、結(jié)局のところ、 制度の側(cè)に認(rèn)められる安全な歌なので、社會(huì)的な了解を得られるということである。 歌垣は、社會(huì)規(guī)則と自然規(guī)則の調(diào)和という存在だと言える。
社會(huì)對(duì)性的歧視是有原因的。 這原因就在于性威脅著社會(huì)結(jié)構(gòu)的完整。 而社會(huì)結(jié)構(gòu)的延續(xù),還得靠兩性關(guān)系里所得來的生育①(費(fèi)孝通 1998:140)。
社會(huì)は男女が結(jié)婚へ至ることを期待する。 つまり、結(jié)婚は子を生産すると言う意味で極めて社會(huì)的なものなのであるが、戀愛というプロセスは社會(huì)にとって諸刃の剣である。 戀愛は男女を結(jié)びつけるが、これも男女が社會(huì)から離脫してしまう危険を孕む。 しかし、歌の戀愛が歌垣に存在していれば、 その危険性はかなり防ぐことができよう。歌うことで、男女は公共的な世界に開かれてしまうからである。 公共的な世界は男女の戀愛を非日常的なものとして括弧にくくる形で許容する。 そうすることで、戀愛は許容しながら戀愛の過剰さを融和し得るのである。
歌垣は、男女を歌垣の場に閉じ込めると同時(shí)に歌垣の場から社會(huì)へと開いてしまう。 言わば、婚姻と戀愛、またその伝承の薫りを染み込ませることに、歌垣の擔(dān)う社會(huì)的機(jī)能がある、というのである。
定期的に行われる歌垣になってこそ、古代日本の民間の人々は突然、普段の狹い地界から、靜かな村から、獨(dú)りの生活から一同に集會(huì)の場に立ち?xí)盲俊?この歌垣の集會(huì)は彼らの理想と関わっている伝統(tǒng)よりの聖なる性質(zhì)も備えている。 彼らは閉鎖された狀態(tài)から脫して自分の連盟のために祝い、 これはどの共同體においても大切な保障である。 それは、若い世代を公共生活と戀愛生活に導(dǎo)くというのである。 しかし、普段の日常生活において、歌垣の場合で使われている適當(dāng)な表し方を求めるのは難しい。 彼らの気持ちを最大限に表現(xiàn)するように、他に何かの表し方が必要なのである。 それで、それは詩的言葉、即ち、歌である。
歌垣の存在を支える要因の詮索はともかく、この場合とても同様に理解できる點(diǎn)もあるように思う。
歌垣の時(shí)代においての日本人が、すでに戀愛(性愛)と社會(huì)のつながりに対した認(rèn)識(shí)は極めて明晰だといえるであろう。 なぜなら、婚姻と性とは直接に共同體の安定と伝承という大切なこととつながっている重要な要素である。しかし、その中に、矛盾と衝突も無視できないほど厳しい。一方、そのような狀況に向かっていた日本人は自ら特有の戀愛観と結(jié)婚観を成立させた。 それは婚姻と戀愛の社會(huì)の安定と発展においての重大さを認(rèn)める。 それで統(tǒng)一された社會(huì)規(guī)則の下で、個(gè)々の戀愛という天性にも充分気を配って、和らげる行為をとっていた。 これにより、古代日本人の生存知恵も良く示している。 それに、歌垣の存在はその中の一つとはいうまでもないであろう。
[1]青木和夫·稲岡耕二·笹山晴生·白藤禮幸(校注).続日本紀(jì)[M].東京:巖波書店,1995.
[2]秋本吉郎(校注).風(fēng)土記[M].東京:巖波書店,1982.
[3]荻原淺男·鴻巣隼雄(校注·訳).『古事記 上代歌謡』[M].東京:小學(xué)館,1983.
[4]工藤隆.聲の古代――古層の歌の現(xiàn)場から[M].東京:武蔵野書院,2001.
[5]坂本太郎·家永三郎·井上光貞·大野 晉(校注).日本書紀(jì)[M].東京:巖波書店,1981.
[6]高木市之助·五味智英·大野 晉(校注).萬葉集[M].東京:巖波書店,1979.
[7]日本大辭典刊行會(huì),編集.日本國語大辭典[M].東京:小學(xué)館,1973.中國語の書籍(著作者のピンインの順による、以下同)
[8]辰已正明.萬葉集與中國文學(xué)[M].石觀海,譯.武漢:武漢出版社,1997.
[9]費(fèi)孝通.生育制度[M].北京:北京大學(xué)出版社,1998.
[10]張正軍.文化尋根:日本學(xué)者之中國云南少數(shù)民族文化研究[M].上海:上海交通大學(xué)出版社,2009.
注釋:
①社會(huì)が戀愛(性)を違った目で見て來たのは、戀愛(性)は社會(huì)の完全さと安定を脅かすという存在である.しかし、社會(huì)の続くことがほかでなく、 この両性関係により生育に頼らなければならない.