日本語(yǔ)教師の學(xué)習(xí)者の認(rèn)知スタイルの把握の重要性
―多技能総合型授業(yè)への期待-
ヒューマンアカデミー 櫨佳世
私たち日本語(yǔ)教師に求められている資質(zhì)や能力は様々である。まず何よりも日本語(yǔ)に関する知識(shí)が求められるのは當(dāng)然である。しかし一方で、日本語(yǔ)教師であるから、日本語(yǔ)の知識(shí)だけ備えていれば十分であるという時(shí)代もすでに時(shí)代遅れであることは周知の事実である。
現(xiàn)在、日本語(yǔ)學(xué)習(xí)者の増加に伴い、國(guó)內(nèi)の日本語(yǔ)教師も増加傾向である。筆者は、日本の民間の日本語(yǔ)教師養(yǎng)成學(xué)校で主に実習(xí)を擔(dān)當(dāng)している。養(yǎng)成學(xué)校で受講生たちは、日本語(yǔ)の歴史、音聲、文法、語(yǔ)彙、教授法、異文化理解、評(píng)価法といった「日本語(yǔ)の授業(yè)」に対する知識(shí)を裝備し、學(xué)習(xí)者の待つ「現(xiàn)場(chǎng)」へと向かう。しかしその現(xiàn)場(chǎng)で待っていた「學(xué)習(xí)者」の多様性に、教師が身に著けた知識(shí)が存分に生かしきれていない現(xiàn)狀も多くみられる。
日本語(yǔ)學(xué)習(xí)者にレベル差があるのは當(dāng)然予測(cè)できる事態(tài)ではあるが、そのレベル差がどこから來(lái)るものかを把握することは難しい。學(xué)習(xí)者1人1人、得意なこと、不得意なことは異なる。例えば、すぐに発音を上手に真似できる學(xué)習(xí)者(聴覚優(yōu)位)もいれば、瞬時(shí)に回答することは苦手であるが時(shí)間をかければ素晴らしい回答を出す學(xué)習(xí)者(熟慮型)もいる。こうした外部の情報(bào)を処理する能力のことを認(rèn)知スタイルという。この認(rèn)知スタイルと指導(dǎo)法が上手く組み合わされば、學(xué)習(xí)効果は向上すると言われている(適性処遇交互作用)。
そこで、様々な認(rèn)知スタイルを持つ學(xué)習(xí)者全員にあった授業(yè)デザインができないかと考える。多くの日本語(yǔ)學(xué)習(xí)機(jī)関では「読解(読む)?作文(書(shū)く)?聴解(聞く)?會(huì)話(話す)」というカリキュラムで構(gòu)成されている。90 分間の授業(yè)時(shí)間ひたすら、1つのスキルだけを磨くことは、集中力や理解を深化させることには有利であるが、一方學(xué)習(xí)者は得意でない認(rèn)知機(jī)能を使い続ける苦痛を感じることもある。學(xué)習(xí)者の多様性に配慮しながら、かつ効率よく日本語(yǔ)が習(xí)得できるよう、そして言語(yǔ)を?qū)Wぶ楽しさを?qū)g感できる工夫と授業(yè)デザインができるのも日本語(yǔ)教師に必要な資質(zhì)と能力の1つではないだろうか。
Proceedings of Northeast Asia International Symposium on Linguistics,Literature and Teaching2021年0期