張靜
1 はじめに
今、異文化コミュニケーションの発展につれて、言語の交流も重要になりつつある。中國と日本は一衣帯水で、同じ漢字文化圏の隣國であり、昔から緊密な関係を持っている。今、両國の交流はさらに発展しつつあり、言語の交流も多くなってきた。慣用句は(普通中國語では「慣用語」と言うが、本稿では「慣用句」と言う)二つ以上の語から構(gòu)成され、句全體の意味が個(gè)々の語の元來の意味から決まらないような慣用的表現(xiàn)であり、熟語の一つである。身體語彙は日本語慣用句の中で多く使われて、中國語慣用句の中でも出現(xiàn)の數(shù)は少なくないということが知っている。身體語彙慣用句の使い方は外國語學(xué)習(xí)者にとって、簡(jiǎn)単ではないと言える。したがって、我々は中日身體語彙慣用句を比較して、その共通性と相違點(diǎn)、特に相違點(diǎn)を把握する必要がある。本稿では主に「膝」「口」「腰」など身體語彙を含む慣用句を例として、身體語彙慣用句の使用上の特徴から比較し、さらにその相違點(diǎn)を生み出す両國文化の相違點(diǎn)を明らかにしたい。
2 中日身體語彙慣用句の使用上の特徴
2.1 同じ身體部分で同じ意味を表す
日本では「膝を交える」という身體語彙慣用句で同席して親しく話し合う様子を表し、中國では「促膝交談」でその様子を表す。日本では、「腰を折る」で中途で邪魔をして、他人の話を止めさせる様子を表し、中國では「半腰插話」でその様子を表す。以上の例は同じ身體部分「膝」、「腰」で、同じ意味を表すことが分かっている。
人間は同じ身體器官があるから、身體についての認(rèn)知はほぼ同じである。身體器官に関する身體語彙慣用句の表現(xiàn)形式もほぼ同じである。それに、日本人が古代から中國文化を取り入れて以來、日本文化は中國文化に大きく影響されると考えられる。
2.2 違う身體部分で同じ意味を表す
日本語には「腰をかがめる」、「腰を浮かす」、「腰を據(jù)える」、「腰を砕ける」、「逃げ腰」、「及び腰」など、「腰」を重心になる表現(xiàn)は數(shù)として相當(dāng)なものである。例えば、赤ちゃんが「腰が固まって」という表現(xiàn)で赤ちゃんの歩き始めた様子を描寫する。老人の歩けない様子を「腰が抜けてしまえば、足自體何でもなくても」という表現(xiàn)で描寫する。一方、中國人は、赤ちゃんが歩き始めた様子を「腿有勁了」で、年を取る時(shí)や慌てふためいて歩けない時(shí)の様子を「兩腿發(fā)軟」や「膝蓋發(fā)軟」で表す。つまり、同じ意味であるが、日本のほうが「腰」で、中國のほうが「膝」で表すことが分かっている。
また、「新しい生活を始め、過去の悪いことを遮斷する」を表す時(shí)、日本人は「足を洗う」といい、中國人には「洗手不干」という。
2.3 同じ身體部分で違う意味を表す
日本人の心理は言葉を軽視するから、「口」を含む言語表現(xiàn)言葉の意味はほとんど否定的な意味を持っている。例えば:「口が軽い」、「口がすぎる」、「口車に乗る」、「口と財(cái)布は締めるが得」、「口には関所がない」、「口が滑る」、「口に任せる」、「口に蜜あり腹に剣あり」、「口の虎は身を破る」、「口を叩く」など、數(shù)え切れないほど多い。中國人は何か意見や見方があれば、率直に言うことが好きである?!感目谌缫弧?、「心直口快」、「口是心非」や「口誦心惟」などの言葉は口と心の組み合わせ、口と心の一緻を強(qiáng)調(diào)し、口と心の統(tǒng)一は中國人の意識(shí)ということがよく分かる。これらの表現(xiàn)は、「口是心非」、「有口無心」、「口口聲聲」、「口惠而實(shí)不至」などが挙げられる。したがって、中日では同じ身體部分「口」でも、違う意味を表すことが分かってくる。
3 身體語彙慣用句から見る中日文化の差異
3.1 生活習(xí)慣における相違點(diǎn)
日本は畳の上に生活しているから、お客を迎える時(shí)「居住まいを正す」ということは必要であり、勝手に膝をそろえるまっすぐ跪いて、「正座」に敬意を表す。これに対して、中國は椅子の生活で、相手が立っている自分が座っているに対して、敬意を全然體現(xiàn)しない。この時(shí)、「立ちあがって」と、マナーを表す。一方、中國は長(zhǎng)期で北方の遊牧民族との止まらない戦爭(zhēng)のため、伝統(tǒng)的な漢民族の「座る文化」が「立の文化」の影響を受けて、現(xiàn)代はほぼ椅子の生活に暮らしている?!改袃合ハ掠悬S金」、「促膝談心」などの言葉があるが、前者は膝を曲げて座っていることを否定して、後者は、面を向かって座っている二人がこんなに近くて膝が膝にぶつかっている場(chǎng)面はよく思い浮かべる、しかし、「膝を突き合わせる」という動(dòng)作は根本的な違いがある。「座る文化」と「立の文化」の違いの根源は、畳と椅子の生活から來ると考えられる。
また、日本語には「腰をかがめる」、「腰を浮かす」、「腰を折る」、「腰を據(jù)える」、「腰を砕ける」、「逃げ腰」、「及び腰」など、「腰」を重心にする表現(xiàn)は數(shù)として相當(dāng)なものである。その原因は、畳を基盤にした日本人の生活様式と、密接な関係があるということである。
3.2 心理意識(shí)における相違點(diǎn)
「日本人の言葉生活の特色として、まず第一に注意すべきは、話さないこと、書かないことをよしとする精神がある」と金田一春彥さんが書かれている。これは実に日本人の言葉に表現(xiàn)する心理意識(shí)を明確に示す。
言葉を軽視する日本人の心理は、もちろん身體語彙慣用句に表現(xiàn)する?!缚凇工蚝嘌哉Z表現(xiàn)言葉の意味はほとんど否定的な意味を持っている。例えば、「口が軽い」、「口がすぎる」、「口車に乗る」、「口と財(cái)布は締めるが得」、「口には関所がない」、「口が滑る」、「口に任せる」、「口に蜜あり腹に剣あり」、「口の虎は身を破る」、「口を叩く」など、數(shù)え切れないほど多い??冥溲匀~での交際より、日本人は「勘」や「察し」、「目は口ほど物を言う」「以心伝心」「腹蕓」などを重視する。日本人にとって、目や心は口より人々の內(nèi)心世界を表明できる。
一方、中國人は何か意見や見方があれば、率直に言うことが好きである。寡黙を伝統(tǒng)的な美徳と見なす日本人と違って、中國人は寡黙より、直言して弁が立つ方がいい?!感目谌缫弧?、「心直口快」、「口是心非」や「口誦心惟」などの言葉は口と心の組み合わせ、口と心の一緻を強(qiáng)調(diào)し、口と心の統(tǒng)一は中國人の意識(shí)ということがよく分かる。もし口と心が一致しないと、不誠実な態(tài)度で批判されかもしれない。これらの表現(xiàn)は、「口不應(yīng)心」、「口是心非」、「有口無心」、「口口聲聲」、「口惠而實(shí)不至」などが挙げられる?!纲澆唤^口」、「交口稱譽(yù)」、「口碑在道」、「口角春風(fēng)」、「苦口婆心」、「良藥苦口」、「赤口毒舌」、「佛口蛇心」、「血口噴人」、「豆腐嘴,刀子心」などの言葉は、人々の真善美の真心をたたえ、過ちのある人をすすめて導(dǎo)く、あるいわ口を蜜に塗って、心はとても醜い人の恨みを表す。これらは、中國人は好き嫌いがはっきりしている貴重な民族精神があるということを表し、口と言語に一種の弁証の考え方である。
4 終わりに
本稿では、、「膝」「腰」「口」などを含む身體語彙慣用句を例として、身體語彙慣用句の使用上の特徴を比較し、さらに中日文化の相違點(diǎn)を明らかにした。以下のことが分かっきた。
1)日本は「座る文化」を持っているといえる。したがって、日本はよく「腰」を使って、身體語彙慣用句を作成する。中國は長(zhǎng)期で北方の遊牧民族との止まらない戦爭(zhēng)のため、伝統(tǒng)的な漢民族の「座る文化」が「立の文化」の影響を受けて、現(xiàn)代はほぼ椅子の生活に暮らしていることが挙げられる。したがって、中國は「膝」をよく使って、身體語彙慣用句を作成する。
2)日本人は口や言葉より、「勘」「察し」、「目は口ほど物を言う」「以心伝心」のほうが重視する。中國人は何か意見や見方があれば、率直に言う。中國人は、表裏を強(qiáng)調(diào)すると同時(shí)に、「裏」を「表」より重視する。これは中國人は「名」を重視する心理が生み出した一種の結(jié)果かもしれない。本稿では、「腰」「膝」「口」などの身體部分を含む慣用句の使用上の特徴から中日文化の相違點(diǎn)を研究した。今後、ほかの身體語彙を含む慣用句を分析して、中日文化の相違點(diǎn)をさらに研究するのを今後の課題にする。
【參考文獻(xiàn)】
[1]井上宗雄.『例解慣用句辭典』[M].創(chuàng)拓社,2002.
[2]金田一春彥.『日本人の言語表現(xiàn)』[M].講談社,1975.
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[4]白石大二.『國語慣用句辭典』[M].東京堂出版,1969.
[責(zé)任編輯:田吉捷]