「カメはウサギにはなれないが、日本一のカメにはなれる。俺はビリから逃れることはできなくても、日本一のビリにはなれるはずだ。ビリであることは恥ずかしいことではない。けることのほうが、よっぽど恥ずかしい」というのです。
しかし、最下位の味のわかる人間でなければ、困っている人、弱い人、貧しい人の気持ちなど理解できるものではありません。最下位になっている時は、得難い勉強の機會が與えられている時であると捉え、一歩ずつ進んでいきましょう。
出典:『職場の教養(yǎng)』.社団法人論理研究會,2011.4.
可貴的“老末兒”――成為懂得困苦的人
“第一固然可貴。不過,也有比第一還可貴的‘老末兒’?!?/p>
這是把畢生精力都獻給小學教育事業(yè)的東井義雄先生說過的話。東井先生考入師范學校后,就加入到社團的馬拉松部,但四年里他一直獨占“老末兒”的位置。他總是一邊想著“烏龜與兔子”的故事,一邊長跑。
他說:“雖然烏龜成不了兔子,但卻能成為日本最好的烏龜。即使我擺脫不了當‘老末兒’的命運,但應該能成為日本最好的‘老末兒’。當‘老末兒’并不可恥,而懶惰才是可恥的?!?/p>
在人的成長過程中,常常會有不得不位居“老末兒”的情況,但要成為日本最好的“老末兒”卻是相當困難的。為什么呢?因為人一旦落到了最后,就容易變得卑微,甚至內(nèi)心也會空虛。
然而,如果不懂得落在最后的滋味,就不會理解遭遇困難的人、處于弱勢的人、身陷貧窮的人的內(nèi)心世界。當我們處于最后位置的時候,就把它理解為這是給與我們的難得的學習機會,一步一步地向前邁進吧。
出處:《職場的素養(yǎng)》,社團法人倫理研究會,2011年4月。