日本 杏林大學(xué)外國(guó)語(yǔ)學(xué)部·大學(xué)院教授
日本語(yǔ)教育の現(xiàn)場(chǎng)でよく問(wèn)題になることの1つに,文體の問(wèn)題がある。
(1)今春の入學(xué)試験にすべったんで,もうちょっと勉學(xué)にいそしもうと思います。
この(1)は日本語(yǔ)母語(yǔ)話者には変な印象を與える文である。文法上の間違いはないがどこか不自然である。それは,1つの文の中に文體的レベルの異なることばが並んでいるからである。
「んで」は「ので」の訛形であり,「ちょっと」は卑近な語(yǔ)であり,ともに話しことばで用いられるものである。原義から離れた〈不合格になる〉の意味で用いられている「すべる」もやはり話しことばである。一方、「今春」「勉學(xué)」「いそしむ」は主に書(shū)きことばで使用される。換言すれば,「んで」「ちょっと」「すべる」は改まり度の低いことばであるのに対し,「今春」「勉學(xué)」「いそしむ」はかなり改まり度の高いことばであって,これらのことばが一文の中に混用されているために調(diào)和のとれない文になっているのである。したがって,
(2)この春の入學(xué)試験にすべったんで,もうちょっと勉強(qiáng)に勵(lì)もうと思います。
または,
(3)今春の入學(xué)試験に不合格になったので,もう少し勉學(xué)にいそしもうと思います。
のように改めれば不自然さがなくなる。(2)の文は改まり度の低いものを揃えており,(3)の文は改まり度の高いものを揃えている。
このように日本語(yǔ)も中國(guó)語(yǔ)に劣らず,語(yǔ)句の文體的特徴に十分な注意を払う必要がある言語(yǔ)であるので,文體的特徴に関する知識(shí)が欠かせない。
ところで,(2)と(3)のいずれが適切であるかは使用の環(huán)境によって異なる。対人関係,場(chǎng)面等のさまざまな因子によって文體の適否は左右される。適切な文體を選択し,それに適った語(yǔ)句を用いることは母語(yǔ)話者にはさほど難しいことではないが,非母語(yǔ)話者には難しいことが多い。非母語(yǔ)話者の場(chǎng)合,文體の適否(改まった表現(xiàn)がよいか砕けた表現(xiàn)がよいか,またはその間がよいかなど)についての判斷そのものは比較的容易であろうが,どの語(yǔ)句を用いれば意図する文體になるのかが分からなくて戶惑うことが多いであろう。
語(yǔ)句の文體的特徴というものは,母語(yǔ)話者の場(chǎng)合,長(zhǎng)年にわたる日々の生活の中で,多くの読書(shū)を積み重ねる中で自然に習(xí)得していくわけで,ほぼ無(wú)意識(shí)的に身につけていくと考えられる。一方,非母語(yǔ)話者の場(chǎng)合は日本語(yǔ)環(huán)境に恵まれなかったり,學(xué)習(xí)期間が短かったりして,このような特徴を習(xí)得することは難しいものである。しかも文體的特徴に関する情報(bào)は現(xiàn)行の辭典類(lèi)にも乏しいので,あまり參考にならない。先に挙げた各語(yǔ)が小型國(guó)語(yǔ)辭典にどのように記されているかを見(jiàn)てみよう。
○A社國(guó)語(yǔ)辭典
んで(接助)→ので
ちょっと【〈一寸〉·△鳥(niǎo)渡】(副)少しであること。
當(dāng)前,針對(duì)我國(guó)經(jīng)濟(jì)體制改革而言,其最大障礙即為企業(yè)活力的缺乏。究其原因,主要有如下方面,其一,企業(yè)在具體體制上比較陳舊,產(chǎn)權(quán)不清,政企不分,造成了企業(yè)會(huì)計(jì)出現(xiàn)主體錯(cuò)位的情況。而積極構(gòu)建現(xiàn)代企業(yè)制度,乃是奇特體制改革的基本方向。其二,企業(yè)管理不當(dāng),經(jīng)營(yíng)疲軟。在整個(gè)企業(yè)管理架構(gòu)中,人們?cè)桨l(fā)注重會(huì)計(jì)人員理財(cái)管理,且已經(jīng)成為企業(yè)管理的重點(diǎn),因此,積極加強(qiáng)會(huì)計(jì)管理,同樣是企業(yè)發(fā)展的基本趨勢(shì)。
<ア>數(shù)量·度合がそれほど著しくないこと?!袱猡Α摇埂浮问陇摔狻埂浮筏總埂浮扦庥蛿啶颏工欷小?以下略)
すべ—る【滑る·×辷る】
(<1>略)<2>しっかり支えとめられずに,物が動(dòng)き去る。
(<ア><イ>略)<ウ>試験に落第する。「大學(xué)を——」「試験に——」(以下略)
今春(見(jiàn)出し語(yǔ)に立項(xiàng)せず)
べんがく【勉學(xué)】(名·ス自他)學(xué)問(wèn)につとめ勵(lì)むこと。勉強(qiáng)?!浮摔い饯筏唷?/p>
いそし-む【△勤しむ】
○B(yǎng)社國(guó)語(yǔ)辭典
んで「ので」の口頭語(yǔ)形?!袱胜胜猡筏恧ぁ?,すっかりおみこしを據(jù)えちまった·たくさんございます——」
ちょっと
[一](副)
(一)時(shí)間·分量·程度が少ないことを表わす。
「千円と——〔=千円と,もう少し〕持っている·そこまでは一時(shí)間——〔=一時(shí)間と,もう少し〕で行ける·——〔=ちらりと〕見(jiàn)る·——〔=一言〕申し上げます·——聞くと〔=聞いた當(dāng)初は〕·——〔=ほんのついでに〕お寄りしました·——黙っていてくれ·——うるさいな·——〔=気にせずにはいられないほど〕耳障りだ」
(以下略)
すべ·る【滑る】(自五)
[(一)(二)(三)略]
(四)〈なにヲ——·なにニ——〉その位置を保てなくなる。
「委員長(zhǎng)を——·入學(xué)試験に——〔=落ちる〕:…の座を滑り落ちる」
(以下略)
今春 (見(jiàn)出し語(yǔ)に立項(xiàng)せず)
べんがく【勉學(xué)】
——する特定の目標(biāo)に向かって勉強(qiáng)すること?!浮摔い饯筏唷ぁ獰帷?/p>
いそし·む【勤(し)む】(自五)
「〔日課として〕はげむ」意の雅語(yǔ)的表現(xiàn)?!该銓W(xué)に——」
上のように,辭典は語(yǔ)義や用例を記すが,文體的特徴に関してはほとんど記述せず,わずかにB社國(guó)語(yǔ)辭典が「んで」に「口頭語(yǔ)形」,「いそしむ」に「雅語(yǔ)的表現(xiàn)」と說(shuō)明している程度である。ちなみにA社國(guó)語(yǔ)辭典の「んで」には見(jiàn)出し語(yǔ)「ので」を見(jiàn)よとの指示がある。その「ので」の項(xiàng)には「『んで』とも言う。」などと記しているものの,文體的特徴には觸れていない。ところで,A社·B社の小型辭典に掲載されていない「今春」は両社の中型辭典には掲載されている。この語(yǔ)はやや硬い漢語(yǔ)であり文章語(yǔ)的と考えられるものであるが,中型辭典にもやはり文體的特徴に関する記述は一切見(jiàn)られない。ここでは他の辭典における上記各語(yǔ)の記載についての紹介は割?lèi)?ài)するが,どの辭典もおおむね同様であると言える。
このように,現(xiàn)在のところ,語(yǔ)句の文體的特徴を辭典類(lèi)で知ることは難しい。したがって,辭典を引けば自然な文が作れるという単純なものではない。以上述べてきたような點(diǎn)に十分な注意を払う必要があるのである。
本シリーズでは,このような語(yǔ)句の文體的特徴に関する事項(xiàng)についても數(shù)回扱う予定である。