[摘 要]日本語(yǔ)を勉強(qiáng)している人は、よく主語(yǔ)、主題のこと混亂して、つまり「が」「は」どんな場(chǎng)合で使うか、分からないである。筆者はここでできるだけ分かりやすい例文で説明したいと思う。
[關(guān)鍵詞]主語(yǔ);主題;主格;述語(yǔ);話題
一、主語(yǔ)と主題の概念
主語(yǔ)とは英: subject、文の構(gòu)成素、文の成分の1つ。日本語(yǔ)では、「が」「は」などの助詞を伴った文節(jié)が主語(yǔ)である。主語(yǔ)は文の中で陳述の対象として「何」及び「誰(shuí)」等の質(zhì)問(wèn)に答えるのである。主語(yǔ)が省略されとことも多い。
主題とは話し手が主観的に説明する話題、文のトピックであり、また話し手と聞き手雙方の共通の話題であり、また既に知っている古い情報(bào)である?!钢黝}」を「話題」と言い替えることもできる。これは日本語(yǔ)にしかない概念である。
主格とは文や句の中で主語(yǔ)を表す格。動(dòng)作、作用の主體や性質(zhì)、関係の帰屬物を表す。現(xiàn)代日本語(yǔ)の場(chǎng)合は、名詞に格助詞の「が」を加えた形式が主格であり、ガ格とも言う。
二、主語(yǔ)と主題の區(qū)別
日本語(yǔ)は主題優(yōu)勢(shì)言語(yǔ)では、主語(yǔ)の明示は義務(wù)ではない。話題の提示の方が重要であり、話題解説構(gòu)文(あるいは主題題述構(gòu)文)が基本的な構(gòu)文である。主題は解説、説明すべき対象として話の場(chǎng)に持ち出されたものであり、一文の大前提であるか、他と區(qū)別して、明確にそれと指し示し得るものでなければならない。その意味において、主題は「既定、不可変、不自由」なものである。主題の多くは「は」で表示される。主題は統(tǒng)語(yǔ)関係から述べると主語(yǔ)と重なることが多い。
「私はパンを食べた」において、主語(yǔ)の「私」は、そのまま主題として「私は」と、取り立てられているので、主語(yǔ)と主題が一致している。
「パンは私が食べた」という文では、「パンは」は述語(yǔ)動(dòng)詞の対象である「パンを」を主題として、つまりトピックとして示したものであり、「食べる」という述語(yǔ)の動(dòng)作行為者は「私」である。
主題には述語(yǔ)に対して、「は」以外に、提示助詞「こそ」、「さえ」、「しか」、「だって」、「でも」、「も」等で提示するのがよくある。
例 大人さえ泣き出した。
私しか知りません。
先生だって間違えることがあります。
こんな悪い紙でも、一枚十五円もするのです。
秋も深まって、紅葉が美しいです。
三、主題と主格の區(qū)別
主語(yǔ)とは文の成分の1つで、述語(yǔ)·対象語(yǔ)·規(guī)定語(yǔ)などと同列に論じられるものであり、主格とは名詞の語(yǔ)形変化形の1つで、対格·屬格·與格などと同列に論じられるものである。
主題と主格を區(qū)別すべきことを主張したのは三上章である。三上章の「『主語(yǔ)』廃止論」は有名である。三上は「主語(yǔ)」と言われているものに主題と主格があることを見つけ、単に「主語(yǔ)」というと前者を指すのか後者を指すのか紛らわしいから、「主語(yǔ)」という語(yǔ)を使うのを止めようと主張した。
次の例文で主題と主格の區(qū)別を説明しよう。
(a)太郎は この荷物を 運(yùn)んだ。
(b)この荷物は 太郎が 運(yùn)んだ。
(a)のような例で「主語(yǔ)はどれか」と質(zhì)問(wèn)すれば、誰(shuí)でも「太郎」だと答える。ところが、(b)のような例で「主語(yǔ)はどれか」と質(zhì)問(wèn)すると、「『荷物』かな?『太郎』かな?」と迷うはずである。 この例で、「荷物」というのは文の話題である、つまり文の話題を「主題」と呼ぶ。また「太郎」というのは、運(yùn)ぶという動(dòng)作を行った者である、つまり「主格」と呼ぶことである。
(a)太郎は この荷物を 運(yùn)んだ。
この文では「太郎は」は話題であり、またこの「太郎は」は、本來(lái)「太郎が」であり、それに話題を示す「は」がついて「太郎がは」となり、「が」が落ちたものと見るからである。だから、この文の「太郎は」も主格と見るということである。
四、主語(yǔ)と主格の區(qū)別
主語(yǔ)は文法機(jī)能の一つである。主格と主語(yǔ)とを區(qū)別しなければならない場(chǎng)合があるからである。 主語(yǔ)はたいていの場(chǎng)合、主格(ガ格)で表されるが、次の例では主語(yǔ)と主格を區(qū)別しなければならない。
李さんは 歌が 好きです
意味役割 感情の持ち主 対象
格 主格 主格
文法機(jī)能 主語(yǔ) 目的語(yǔ)
この例では、「李さん」の意味役割は「感情の持ち主」であり、歌のそれは「対象」である。格は「李さんが」「歌が」となっているから共に主格(ガ格)である。文法機(jī)能はというと、「李さん」は「主語(yǔ)」であり、「歌」は「目的語(yǔ)」ということになる。
五、まとめ
主語(yǔ)は文の中で陳述の対象として「何」及び「誰(shuí)」等の質(zhì)問(wèn)に答えるのである。主語(yǔ)が中國(guó)の主語(yǔ)と違って、省略されることも多い。主題は話題、文のトピックであり、日本語(yǔ)しかない概念である。主語(yǔ)と主題が一致することもある。主格とは文や句の中で主語(yǔ)を表す格。名詞に格助詞の「が」を加えた形式が主格であり、ガ格とも言う。要するに、主題、主語(yǔ)、主格この三つの概念はお互いに區(qū)別している同時(shí)に関連がある。常に、一つの概念を説明するために、他の二つの概念が必要である。
參考書目:
[1]金谷武洋.日本語(yǔ)に主語(yǔ)はいらない.講談社選書メチエ.2002.
[2]仁田義雄.日本語(yǔ)の格を求めて.日本語(yǔ)の格をめぐって.東京.くろしお出版.
[3]北原保雄.日本語(yǔ)の文法.中央公論社.1981.
[4]野田尚史.「葉」と「ガ」東京.教育出版.1982.
作者紹介:王麗,女,日本語(yǔ)科文科學(xué)士,湖南外國(guó)語(yǔ)職業(yè)學(xué)院日本語(yǔ)教師,講師。